雑記:ハノイで思っていたこと
目薬です。
先週末、ハノイからセブに戻り、月曜日からまた通常授業に参加しています。
…って書いたのが今週の火曜日だったんですよ。
気づいたら光陰矢の如し、あっという間に金曜日の今日、いまわたしはすでにシンガポールにいながらにしてこれを書いています。セブいたんちゃうかいって話なんですけどね。ええ。
三月初め、今の学校に移って最初の週末を迎えたわたしは当時の状況にものすごく不満を感じていました。生徒が日本人しかいない状況にどうしても耐えることができず、「そうだどこか行こう」と思い立ちました。
ということで前回の旅、そして今回の旅は急に決まりまして。
1月に香港、2月に中国を訪れ、3回目はベトナム。そして今は4回目の旅行先へ向かうため、シンガポールで飛行機を乗り継いでいるところです。
ハノイについては、そこで働いている親戚を訪ねておこうと思ったのがきっかけでした。
正直、前回の中国・深センの旅でいろいろ疲弊しすぎて、ハノイに何も期待をしていませんでした。ゆえに、もうアジア旅行するのやめよ…いうてどこもフィリピンとそう変わらんやろ…くらいにしか思っていませんでした。
そんな浅はかな予想をさらりと裏切ったハノイ。たった二日しかいなかったのが惜しいと感じるくらい。
実際に訪れるまで、わたしは植民地時代の支配国がフランスだってことも、彼らがが社会主義だってことも忘れていました。
そんなにばんばん西欧のお店が並んでいる感じでもない。H&Mもユニクロもなかった。ユニクロは今年の秋に来るらしい。
新興地区の発達が近年めざましいハノイですが、いわゆるベトナムっぽい観光ができるのは旧市街と言われる地区に相当します。わたしも旧市街を親戚に案内してもらって、一通りハノイ観光っぽいことは済ませてきました。
その中で一つ、印象に残ったのがベトナム女性博物館。「女性博物館」ていう名前がもうなんかあれだよね。
わたしの趣味の一つは美術館巡り。
ハノイはTripAdviserで覗いたところ、「あれ?わりと博物館・美術館が多いな…」という印象でした。
滞在した日数が短かったこと、親戚の用事に付き合う時間があったことで、実際に訪れることのできたところはベトナム女性博物館のみでした。
事前リサーチでちょっと身構えつつもその独特なネーミングに惹かれ、貴重な時間を割いてそこに行くことに。
で、行ってきて感じたのがベトナム女性の強さ。
ベトナム史を語る上で、戦争の話は避けて通れない。
特に1950年代~1975年は、ベトナム戦争で国が二つに分かれて戦争していた頃。
この時多くの女性や子供が犠牲になるのだけど、その中でベトナムの独立運動を積極的に促していた女性もいたことをこの博物館では伝えている。
自ら作戦を練り、戦車を爆破させたりゲリラをかましたり、やることが一般的な女性のそれではない。
リーダー的存在のあるベトナム人女性の略歴には、4回敵軍の捕虜になり、激しい拷問を受けてもなお秘密を漏らさなかったとあった。
戦争歴史の他にも、ベトナムの少数民族の暮らしや古くからの結婚観の紹介などいろいろチャプターがある。
特に結婚観についての紹介は面白い。古い形式の見合婚では、いかに新郎新婦、互いの家族が利益を享受できるか、というところに重きを置きまくっている。基本的には何がいくらもらえるとかそういう感じのことばかり。好きとか嫌いとかそういう話は一切出てこない。
そういう意味で割り切ってるんだなあとちょっと感心した。きっとその文化で育てられた女性は、とてもしっかりした人になるんだろう。
ベトナム女性博物館の中は、予想外に白人の男女でいっぱいだった。それにラテン系、多分きっとヨーロッパ諸国の人々。アジア系の客をほとんど見なかった。
近辺の通りには、たくさんの白人(特に老夫婦。リタイアした後ちょうどいい土地なんだろうか)とたくさんの多分中韓系のツアー客がいたのをわたしは目にしていた。だからこそ余計にこの博物館での人種の比率が気になった。
女性ってなんだろう、と考えさせられる機会はたくさんある。
彼らが多くこの博物館を訪れているのを見て、わたしがそれについて考える機会は足りているのだろうかとふと思った。
そんなことを書いていたら乗り継ぎにちょうどいい時間になってきた。飛行機乗ってきます。